国分寺駅からお鷹の道に向かう途中、一里塚第2という交差点を通過する。
この一里塚について、いろいろ調べてるうちに、いろんな謎にぶつかった。
一里塚はどこにあるのだろうか?
前後の一里塚は存在するのだろうか?
一里塚第2交差点はあるが、第1はどこにあるのだろうか?
など、国分寺の一里塚について調べてみた。
国分寺の一里塚
一里塚とは、江戸時代、大きな街道沿いに一里(約4キロ)ことに作られた塚である。塚には木が植えられて、旅人の目印となり、木陰で旅人が休憩できるように配慮されていたという。
国分寺駅の南口を出て、南へ300メートルほど進むと国分寺街道にぶつかる。
そこは「一里塚第2」という交差点になっている。
かつて、このあたりには一里塚があって、昭和40年に実施された町名整理以前は、大字国分寺 小字一里塚と呼ばれていた。
周辺には「一里塚バス停」「一里塚橋」などは存在するが、現在、一里塚の塚そのものの存在は確認されていない。
国分寺の一里塚はどこにあった?
では、一里塚はどこにあったのだろうか。
延宝6年(1678年)頃に作られた古絵図(をトレースしたもの)に国分寺の一里塚の場所が描かれている。
地図中の右よりにある清戸海道(現国分寺街道)と、江戸海道(現元町通り)との交差点付近、畑の中に一里塚と表記がある。
塚の上に木が植えられている絵も添えられている。
また、一里塚の本来の姿は街道の両側に対で設置される。
地図中の一里塚も国分寺街道を挟んで道の両側にちゃんと対になっている。
この古絵図からすると、一里塚のあった場所は、現在の一里塚第2交差点から、南に約400メートル。
東元町三丁目の交差点ということになる。
今から300年以上前には存在していた一里塚だが、現在その場所にはマンションが建っていて、そこには一里塚は存在しない。
現在の地図上に、一里塚第2交差点と本来一里塚のあった場所をプロットしてみた。
一里塚がいつまで存在していたのかははっきりしない。
前後の一里塚はどこにある?
一里塚のあった位置はわかった。
一里ごとに置かれた一里塚。
では、前後の一里塚はどこに存在するのだろうか。
一説によると、小平の二ツ塚がちょうど一里の距離にあり、そのつながりではないかと言われているが、本当なのだろうか。
文献などを探してみたが、結局わからずじまい。
そこで国分寺市のふるさと文化財課に問い合わせてみたところ、調べていただき、お電話で丁寧な回答を頂いた。
その回答によると、国分寺の一里塚の前後の一里塚の場所は記録がなく、わかっていない、とのことであった。
小平の二ツ塚という説もあるが、それもはっきりしたことはわからない。
そもそもどのルートのための一里塚なのかもはっきりしていない。
ということであった。
ちょっと残念だけど、わからないということがわかってスッキリした。
ふるさと文化財課さんには、とてもご丁寧に対応頂いて恐縮である。
「一里塚第1交差点」はないの?
では、新たな疑問として、交差点の名前である。
「一里塚第2」があるのならば、オリジナルの「一里塚第1」にあたるものがあるはず、と考えた。
しかし、いろいろと調べても、オリジナル「一里塚第1」交差点はみつからない。
昔は存在したけど、現在は廃止になってしまったということなのか?
そこでつぎのような仮説を立ててみた
オリジナルの「一里塚交差点」の場所
ということで古い地図を調べてみることにした。
この中に、「一里塚」の交差点表記をみつけることができた。
そして、「一里塚第2」はない。
それを現在の地図にプロットしたのがこちら。
現在の「一里塚第2交差点」から南に行った次の信号付近となる。
この辺りにオリジナルの「一里塚交差点」があったらしい。
一里塚交差点はいつまで存在していたのか
ではこのオリジナルの一里塚交差点はいつ頃まで存在していたのだろうか。
古い地図など調べてみたものの、結局わからず、さきほどの国分寺市のふるさと文化財課さんの回答によると、
「『一里塚』という交差点は、国分寺市東元町三丁目13番付近に現在も存在しています。」
という驚きの回答であった。
もう一度地図を掲載する。
住所からいっても、昭和45年(1970年)の地図の場所でまず間違いはないだろう。
現在この位置にある交差点には名前は表示されていない。
交差点名がつけられていることと、その名前が表示されているかどうかはまた別の話、と言うことなのだ、
名前があるけど表示されていない交差点はたくさん存在すると言うことになる。
交差点名がつけられた経緯や年代は不明だと言う。
推測ではあるが、昔はこちらのオリジナルの「一里塚」交差点のみ存在した。
その後、国分寺駅南口が完成し、駅から南下する道と国分寺街道との交差点が作られた。
その後は交通量も多くなり、オリジナルの「一里塚」と区別して「一里塚第2」の名前が表示された。
オリジナルの方はもともと表示がなかったのかもしれないし、必要性が薄れて表示をやめにしたのだろう。
以上が一里塚のなぞを巡る旅である。
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